2006年09月
2006年09月14日
香林坊と片町
次は極めて現代的な繁華街です。
ブランドショップなどが沢山ある香林坊と(109もあります・画像)、酒場やスナックが集まっている片町商店街。
香林坊は日曜日だったから人も多かったね。
東京の渋谷とかあそこまでじゃないけど。
だからこそすっきりしてこれまた快適だった。
しかし女性が多かった気がするなあ。
それも美人が(笑)
あれが加賀美人っていうのか?
っていうか僕が美人しか見てなかったのかな(笑)
女性のお店が多いから女性が多いのは当然だな。
年輩の女性も居たけど、みんな洒落っ気がある感じがした。
何かで読んだけど、金沢って結構生活にゆとりがあるんだってね。
そんな余裕をちょっと垣間見たような気がしたな。
あ、男も居たけど特にどうとも思わなかった(笑)
やっぱり女性の街だね。
片町はスナックとか、キャバクラみたいのが多いらしい。
呼び込みの兄ちゃん達も何人か居たな。
夜にバーかスナックに行こうと思ったんだけど、よくわかんないし、宿から遠かったし、日曜の夜であまり活気がなかったし、何より歩き疲れたからやめちゃった。
次回だな、次回(笑)
2006年09月13日
近江町市場ですし屋に入る
さてさて、いよいよ楽しみの一つ、新鮮な魚介類にありつこう。
と、近江町市場まで歩く。
駅から十分歩ける距離なんだな。
でも行ってみたら結構お店が閉まっていた。
と思ったら今日は日曜じゃん。
でも観光客相手のすし屋は営業してて、とりあえず「廻る 近江町市場寿し」に入ってみた。
とりあえず待ち。
で、やっと、やっと!3ヶ月ぶりにアルコール摂取!
ビール中瓶1本!
「美味ぇー!」
・・・と思うかと思ったんだけど、それほどでもなかったぞ(笑)
すっかり酒が美味いと思わない体質になったのか?(笑)
そして寿司。
「美味ぇー!」
と、これも思うかと思ったんだけど、それほど感じなかったぞ(笑)
いや、たぶんすごい美味いんだと思うんだけど、僕がその時偶然そういう味覚の状態だったんだと思う。
6皿か7皿くらいしか食べなかったしね。
なんかここで満腹にして街を歩くのは大変そうで、腹八分目にしておきたかってのもある。
「花より団子」の逆で、今回は食い物より街を見たくてしょうがなかったから、ここではこの程度にしておいた。
でもカニとカニ味噌の巻物は実に美味かったなあ。
ほかも美味しかったっすよ。普通に。
静かなアンドレカンドレのことを思い出してた
なんとなく思い出してた。
7時のオープン頃に行って、空いてる時間にのんびりするのが良かったんだよねえ。
画像のサントリーオールド入れてた頃とか懐かしいなあ。
今は酒やめてるけど、最近はとにかく、静かなバーとかでおとな〜しく飲みたいんだよねえ。
アンドレのオープンの時間帯って、そんな感じがあったよなあ。
俺もノってくると唄ったり踊ったりモノマネしたり、大変な騒ぎだったけど、一人でカウンターの端っこで飲むような一面もあるんですよ。
っつーかそっちが本性かもしれないな。
いや、どっちも本当の俺かな?
よくわかんねーけど(笑)
まあ酒にまつわる記憶はたまに色々と甦るねえ。
あー、これ書いてたらウイスキー飲みたくなって来たよ(笑)
秋はじっくりウイスキー。
ってな気分だね。
2006年09月08日
特になんにもないよ
淡々と過ごしております(。・-・)
でももうすぐ金沢。そして一時的飲酒解禁(^^)
明日で酒やめて3ヶ月。一滴も飲んでないからね(。・-・)
酒飲みの人に話しても感心される。
でもかつて煙草を3年やめたことがある俺からしてみりゃなんてことはないのだ。
旅先で地酒を堪能して来るが、戻ったらまた飲まない。
というより、節酒だな。
学友との宴があるので、その時は飲む。
他は未定。
いずれにしても以前のようにガブ飲みすることはないだろう。
それにしても相変わらず蒸し暑いなあ。
金沢の予想気温見たら東京よりはだいぶ涼しくなってるみたい。
のんびり涼んで来よう。
画像は金沢のすし屋の「ブリ丼」
回転寿司でもこんなメニューがあるんだね。
楽しみだ。
2006年09月06日
「泣いてたまるか」を知って「泣いてたまるか!」と思った
一昨日の渥美清さんの番組、ビデオに録ったので、じっくり見てみた。
テレビドラマ「泣いてたまるか」のワンシーンは本当にグッと来たな。
「ああ無名戦士!」というタイトル。
渥美さんはアコーデオンを弾いて募金を集めるニセ傷痍軍人の役。
そのニセ傷痍軍人と、受験戦争で落ちこぼれた若者と家出娘との友情が描かれている。
渥美さんは「ニセ」とはいいつつも、空襲で片足を失った戦災孤児だというところが、重い背景でたまらない。
印象深いのは、おそらくラストシーンなのだと思うが、戦没者慰霊碑の前で渥美清と、事故で怪我をした娘が遺骨(落ちこぼれ学生のものと思われる)を抱いて立っている場面だ。
最後に渥美清が「私のようなものでも!生きてゆきたいのであります!」と大声で叫ぶところはたまらない感動が押し寄せる。
この作品は昭和42年の11月に放送された。
僕がまだ1才にもならない頃か。
この回で脚本を担当した方が番組のインタビューに応えていて「あの時代(戦中・戦後)を忘れてはいけない」と言っていた。
戦争の悲惨さを忘れるなという言葉はよく聞くが、戦後しばらくの悲惨さを忘れるなと改めて言う方を久しぶりに見た。
当時を必死に生きた方ならではの言葉であろう。
それにしてもこの「泣いてたまるか」、絶対に全作品を見たいものだ。
高度経済成長期で浮かれていた当時でも、確実に苦しんでいる人がいたという事実を認識したい。
浮かれたバブル期と酷似している昨今だからこそ、この作品を見る意味もある。
しかしこの「泣いてたまるか」って言葉はいいね。
「てやんでぃ!泣いてたまるかよぉ!」っていう、男の強がりみたいな粋な感じ、いいよね。
俺も色々あるけど「泣いてたまるか!」