2006年07月30日
バブル期以降の寅さん
最近またレンタルビデオ屋に行くことが増えた。
僕は邦画が好きで、よく借りる。
寅さんの「男はつらいよ」も品揃えが豊富で、どれを借りようかと色々手に取って見るのだが、バブル期以降、平成以降の作品にはどうにも手が伸びない。
というより、満男役が吉岡秀隆君になってからの作品をほとんど見ていない。
見ていないから何も言えないのだが、感想などをたまに読むと、なんとなく寅さんが後へ後へと引いていくイメージがあるのだ。
そういう寅さんもまたいい味が出ていると言う方もいるが、僕にはどうにもそれが寂しい。
思えばバブルの時代、僕は寅さんなどまったく忘れていた。
バブルの空気に反発しつつも、どこかで流されていて「今さら寅さんでもないだろ」と思っていたのかもしれない。
実際その頃にはすでにあの映画は、マンネリズムに悩んでいた感じもある。
今あの時代の作品を見る気になれないというのは、その時代に寅さんを忘れていた自分への複雑な想いが少しあるのかなと思う。
例えば、大事に育ててくれた親や、祖父母への想い。
青春期に親離れをし、そういう人達のことなどすっかり忘れて遊び呆けるのが、ある意味ではごくごく普通の若者の姿のはずだ。
しかし少し歳を取ってその時代の自分の姿を顧みると、なんともいえない複雑な気持ちになる。
ふとその人達のことに目がいくようになった時、その人達は既に相当老いている。
寅さんもそうだった。
気付いたら亡くなっていた。
遺作となった「男はつらいよ 寅次郎紅の花」は、95年の作品。
阪神大震災と地下鉄サリン事件という、痛ましい時代。
実際寅さんが神戸でボランティアをしているというシーンがあるという。
そしてこの時渥美清さんは病気でやつれていて、それが露骨にわかるくらいだったらしい。
最後の作品ということで、見てみようと思うこともあるのだが、DVDを手に取って写真を見ると、どうにも悲しくなって、やはりやめてしまう。
寅さんは相変わらず笑っているが、体は相当辛かったのではないか。
さくら役の倍賞千恵子さんも、博役の前田吟さんも、昭和の、あのがむしゃらに家を建てようとしてた時の顔ではない。
不幸そうではないのだが・・・
なんだろう。
哀愁漂うというか、哀しそうというか、そういう風に僕には見える。
やんちゃな寅さんと、額に汗して働く博とさくら、寅さんと本気で喧嘩をするおいちゃん、そんな中でも奮闘するおばちゃん。
それこそが「男はつらいよ」であってほしい僕としては、後期の作品は実は必要ないのかもしれない。
一生見ないということもあり得る。
アルバムを開いて、亡くなった親族の顔を見ながら涙を流すような想いで寅さんを見るのはつら過ぎる。
こういう角度で寅さんを語るのも、さらに寂しくてたまらないのだが、これも年々歳を取ってる証しなのか。
今調べたら、渥美清さんの命日は8月4日だったんだな。
もうすぐだ。
いけねえな。こういう湿っぽい態度が一番寅さんっぽくねえんだ。
腹から笑って清々しい気持ちになる。
それこそが寅さんとの付き合い方なんだ。
男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け
この作品も良かったなあ。太地喜和子さんと宇野重吉さんも実に良かった。
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この記事へのコメント
「男はつらいよ」シリーズについてのご意見、私も同感です☆
後期の作品は渥美清さんが妙に痛々しく感じられました。寅さんはどんなに年を取ってもあの寅さんであってほしいのですが、時代の流れとか周囲の環境のせいとか役者さんの体調とか、様々なことが重なって寅さんが寅さんではなくなっていくような気がしました。
私の中での寅さんは、昭和を生きた寅さんなのです・・・(*^_^*)
ちなみに私が大好きな作品は、第18作「寅次郎純情詩集」です。
寅さんはやんちゃで短気で屁理屈ばかり言うけど、すぐ反省したり情にもろいところがいいんですよね。
私はおそらく末期作品はずっと見ないと思います。
好きな作品は何度も見てますが、全然飽きないからそれでいいかなと思っています。
また書き込んで下さいね。