2006年02月15日
「スワロウテイル」−自由の街、円都(イェンタウン)への想い
スワロウテイル
ちょうど10年前の映画だ。
もう10年経ったんだな・・。
これは前評判から、絶対映画館に行くぞと構えていた覚えがあるが、やはり見事にハズレじゃなかった。
今日久しぶりに思い出してパンフレットを読み返したのだが、ストーリーというストーリーはどうにも思い出せない。
ただただ格好よかったという思い出がよみがえる。
物語は、「円都(イェンタウン)」を舞台に進んでゆく。
「¥都」「円盗」とも呼ばれる、「円が強かった時代」の架空の都市だ。
日本人のアウトサイダー、中国人、イラン人、その他あらゆる国の人間がごちゃ混ぜで登場し、仕事も、売春婦、ヤクザ、バンドマン、ニセ札作り、スナイパー、麻薬売買、銃器売買、その他・・と、賑やかな映画だった。
でもなぜだかこういう雑踏のような映画やドラマを見ると、自分は無性に落ち着く。
そうだ、松田優作のドラマ「探偵物語」の舞台の街のようだ。
色々な人間が何ものにもとらわれず、自由に生きていける街。それがたまらないのだ。
この映画は当時、「近未来」「近過去」と、変な呼ばれ方をしていた覚えがある。
96年当時、バブルは完全に崩壊していたから、「過去」でもあったのだろう。
今思えばこの90年代後半という時代も、何とも言えない活気があったものだ。
自分はバブル全盛期に20代に突入した、いわゆる「バブル世代」だが、どうもあの時代とか、社会が浮かれてる時代というのが好きになれない。
だから90年代後半の、気だるい、それでいて元気な人は元気だった時代が好きなのだ。
00年代も今年、2006年初っ端から、これまでと様子が変わって来た。
土地バブル時代に確かに似ていたITバブル時代も、ライブドアの事件により、実体はどうあれ、世間の空気として終了した気がする。
「祭のあと」の気だるい時代がまた来るか。
自分はぜひ来てもらいたい。
荒廃し、社会がうなだれてる時こそ、軽いフットワークでそこを渡っていく。
これこそが何よりも楽しいのだ。
それにしても、この映画でもやはり三上博史は最強だったな。
