2006年08月31日
何も言わずに見てくれている人
タイトルのような人が好きという話。
僕はいわゆる「普通の生き方」とちょっとズレてるから、前から書いているけど、誤解を生みやすい。
別に悪いことをして生きてるわけでもないんだけどね。
そういう僕にああだこうだと「アドバイス」という名の下に、ただ自分の言いたいことだけを言ってスッキリするって人がたまにいる。
悪いが、その「アドバイス」の中身なんぞ、大抵はもう僕も承知の上で、自分の中で解決法を探っていたりするのだが、人に何かを言いたいタイプの人はそれもわからずに言って来るわけだ。
これまで「おっ!」と思わせることを言った人など片手で数えるほど居るか居ないか。
所詮そんなものなのである。
人の人生なんぞ、酒場の席の顔や、その人の一面だけ見て判断出来るほど簡単なものではない。
それを平気な顔で「アドバイス」する人のデリカシーのなさに、最近は(昔からなのだが)厭きれていたりする。
その場で聞いているふりはするが、もう二度と腹を割って話すこともない。
僕はそういう面では実に冷たい男だと思う。
一方で、タイトルのような人。
僕の周りにも何人かは居るが、基本的にデリカシーがあり、かつ、「人の人生などわからない」ということがしっかり認識出来ている人なのだと思う。
また、こういう人は、僕が困っていたり悩んでいたりする事柄を察し、実に的確な言葉をくれる。あるいは放っておいてくれる。
アドバイスとも、激励とも違うんだな。
「出来た人間」とはこういう人を言うのかなと最近思うようになった。
余計なことは言わないが、その人のためになることを的確に言う。
これが実に良い。
また、温かさややさしさを感じる。
そして、相手を信頼しているから余計なことも言わずに見ていてくれるのだろう。
年齢も関係あるのかなと思いきや、考えてみるとそうでもない。
老若男女関係なく、こういう人は存在する。
仕事や学問の出来はさておき、こういう態度が取れる人を僕は尊敬する。
そして、僕もこういう人間になりたいと思う。
「能ある鷹は爪隠す」
的を射た言葉だ。
あ、「人のアドバイスを聞くのも大事だ!」ってコメントはやめてね(笑)
そういうのが嫌だっていうのがこの記事の主旨ですから(笑)
そういえばそういうこと言う人も昔居たなあ・・
