2006年10月03日
「ターンレフト・ターンライト」と「君のいる場所」
先日、映画「ターンレフト・ターンライト」の話を書いたが、どうにもいい話なので気になり、You Tubeで検索してたら、原作絵本の「君のいる場所」に音楽を付けた画像が出て来たので、全部見た。
こりゃだめだ。大の男が恥ずかしいが、涙が止まらなかった。
どうしてあんなに素朴な絵が描けるのだろう。
映画でストーリーを知っていたから、中国語だかの漢字が読めなくても意味がよくわかった。
この二人の男女の、孤独だけど、平凡な毎日を必死に倒れずに生きてる様が表情に表れてる感じが僕はした。
「苦労してる」って表情じゃないんだけど、なんか寂しそうなんだよね。
実は僕はこの手の人間に弱い。
弱いっていうのは「苦手」っていうんじゃなくて、応援したくなるんだよね。
外見はそんなに苦労も見せないし、愚痴もあまり言わない。むしろ明るそうに見えたりするんだけど、あるツボを押すと涙腺が大決壊するくらいの寂しさを抱えて毎日を送ってるような、そんな人。
この映画と絵本を見ると、主人公の二人の男女がそういう表情をしょっちゅうするんだな。
これにまいっちまう。
金城武とジジ・リョンは本当にそういう部分を上手く演じていた。
そんな二人に訪れるささやかなプレゼントなんだな、ラストは。
で、この映画と絵本を見て、なぜかクリスマスを思い出した。
僕はそれこそバブル期だった20代から、クリスマスにデートとか、男女が出会うとか、全く意味がわからなかったし、それこそ「アホか。」と思っていた。
クリスチャンではないが、クリスマスの意味を履き違えた捉え方に厭きれていたのだ。
でもこの作品を見ながらなんとなくその気持ちが薄れた。
クリスマスは、サンタクロースという善意の人が、プレゼントを持って来てくれる日。
そのプレゼントが、寂しさを埋める「愛」だと解釈すれば、クリスマス=デートと無意識に認知するのも納得がいく。
ただそのプレゼントは、この作品の二人のように、寂しさを抱えていて、でも必死に生きている人にこそ届いてほしいものだ。
広告屋や大企業の金儲け商品ではなく、こういう偶然のささやかな出会いがまさに大きなプレゼントだろう。
自分のことはもはやどうでもいいのだが、都会で、倒れそうだけど必死に頑張っている人に、この冬、そういうささやかな幸せが訪れればなあと思う。
ガラじゃねえけど、そんなことを思わせるほどこの映画は良かったよ。
絵本も買おう。これはいい。
ああ、ガラじゃねえほどロマンチックなことを今回は書いてしまったよ(笑)
「向左走向右走(1)」(絵本に曲が付いたものです。誰が作ったんだろう。いいな)

